理解は本当に必要?

人間関係についての話をお聴きしていると、
「お互いの理解がもう少しあれば違ったのではないな」と感じることがよくあります。
上司が部下に注意する場合でも、日頃のコミュニケーションがあれば発信の仕方も受け取り方も
違うものになるのではないかと感じます。
部下のとの日頃のコミュニケーションがあれば、
「あの人は“誉められて伸びるタイプ”だから、まずは頑張っているところを認めて、
それから気を付けてほしいところを伝えよう」など考えることができます。
また、部下にとっても、
「上司は厳しいけれど、自分のことを見ていてくれているし、言っていることはさすがだな」
などと前向きに受け取ることができます。

とはいえ、「お互いを理解する」て、本当に難しいものです。
また、「理解してもらえない」という感情は、人をとても悲観的にするパワーを持っています。
そう強く感じたとたん、一種の思考停止状態に陥るともあります。

ですが、果たして「理解する」ことが唯一のことなのでしょうか。

「理解しなければ」と思うがゆえに苦しむこともあります。
そんな時は、いったん「理解しよう」という気持ちを脇に置いてみてはどうでしょうか。
そのうえで、「最低限、伝えなくてはならないことを伝えよう」と発想を転換。
すると、「では、どのように伝えれば伝わるか」という工夫にエネルギーが向かいます。
そのエネルギーの方が未来につながり、結果として、
「伝わった=理解しあえた」につながるかもしれない、、、、そんなふうに感じます。